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目次

詩人の人生切り売りします。

Toc 1.

〈一月某日〉

詩人は反省した。

メジャートランキライザーは、医者の言うとおり飲まなければいけない。服用し始めて三週間くらいで、その効用よりも副作用に負けてしまった。とにかく制御できないような欲求に苛まれ、苦しい耐えられませんと医者に懇願した。詩人は非常に内向的だから(自らはそれを卑怯者と呼ぶ)、薬を減らせなんていわなかった。甘えが噴出してるんです、情けないんですと言って、可憐ささえ覗わせた。そのつもりだった。医者は案の定、薬を減らしましょうと言った。詩人が求めたので、医者は珍しく言葉を処方した。自分に自信が持てないからですよ、それから熱中できる何かを見つけたらいいと思いますね、趣味とか何とか。詩人はそれからその日は医者の言うとおりに薬を一錠減らし、次の日には二錠減らした。そして三日目の夜に久しぶりの絶望的疲労感に苛まれながらぬいぐるみに懇々と話しかける自分を哀れんだ。詩人は自らの苦しみを肯定した。かくて「かの」薬とその他三種類の薬を正しく服用して、詩人は眠りについた。

そして明くる四日目に、詩人は非常に反省したのだ。朝のシャワーを浴びながら、微か残る疲労感に確信を持って。文明の利器を、人生論・精神論、まして職場の上司の物差しで批判した自分が口惜しい。欲求という副作用も、払っても安いものだった。こんなに疲れて、こんなに絶望的で、そうか自分はこれが苦しかったんだ。

都会の冬は寒く、シャワーでは一向に体が温まらなかった。橙の証明に戦慄く水しぶきを浴びながら、詩人は、一ヶ月くらい前の自分を思い出していた。

【書く】

メジャートランキライザーの副作用というやつに

私の脳は攻められている

しかしその強そうなやつは

決して悪事を働きたいのではない

護っているのだ

「私」から「私」を

炭水化物と糖分が

麻薬のように思える

でもこれは代償

文句は言えない

生きている人間の恐怖と

自分という制御不能な器から

私という存在を護ってくれている

書き込む

書き付ける

書き殴る

こうして私は生きていくのだ

岸壁に立つ白虎の様に

冷涼なる風の中

血滴る牙も拭わず、死を目の前にして

震えながらも尚、凛と佇み

ただひたすらに

生の雄叫びを上げながら

【分裂】

吼え猛る体

慟哭の心

苦悩の魂

かような時にぞ

誰をか思わん

何をか求めん

指の狭間より零れ落ちる

幾億の自分という破片に

空になったこの拳

狂うように世界を弄る

〈二月二十七日〉

詩を書くときは、大抵何かに取り付かれたときか、或いは気に入りの喫茶でノートを傍らに、というのが詩人のスタイルだった。或る街の或る喫茶店が、最近の詩人の贔屓である。「お勉強お断り」という掲示板がないし、騒々しい女子郡も少ない。頼まれたら淹れますよ、という感じで読書をしている店長の雰囲気が何より気に入っていたし、実際にそこのドリンクはなかなかのものだった。金銭的に余裕のない詩人にしてみれば、詩が生まれるか生まれないかがわからず多少高級値段設定なその店に入るのはかなり勇気の要る行為、まさに博打に近いものもあったのだが、それでも最近は頻繁に出入りしている場所だった。

さて。最近は「詩を書こう」という意欲が邪魔をして、一向に作品が生まれない。書こうとすれば書こうとするほど、書けない。下らない言葉ばかり降ってくる。詩人はとても安定して継続的断続的に、スランプに陥るタイプだった。仕方がないので、詩人は自らが詩を詠む、ということに対してしばし思い馳せることとした。

孤独と混沌と退廃が心を支配するとき、私はうたう。しかし詩人となりえた今、そのことが私を苛む。詩人は、生を渇望しているのだった。笑顔や充足や喜びを、詩人はまた求めていた。そして厄介なことにそれら幸福が訪れるとき、詩人の筆は止んでしまうのだ。結局、己を統制する力に欠けるのだな。果果しくない気持ちで、詩人はカプチーノを啜る。

この世の影と光は、対立しているのではない。

それぞれが一個として、独立しているのではない。

微笑みの中にも涙が、悲しみの中にも希望が、

必ず共存しているのだ。

であるとすれば、今の自分は、其処から逃げているのだ。

生の多面性に目を向けること、それを直視し立ち向かうこと、負けまいと筆を持つことから、私は逃げているのだ。

私は。

詩人であることから逃げている。

生きていることから逃げている。

詩を書くことが必然となった今、詩人は詩人なのであった。リルケが、そう言っていたように。前々から決まっていたスケジュールが予定通り訪れたような、注文したデリバリーピザが届いたような、そんな自然さを、詩人は自分が詩人であることに感じていた。さらりとそれをうけとめていた。しかし、それ以降がいけないのだ。詩人は冷めたカプチーノをすする。

スケジュールが始まってから、仕事を蹴ってやがる。こんなピザ頼んだんじゃないと、ピザ屋にケチをつけている。これは光栄にも与えられたものなのに。自らが、選び取ったものなのに。この世にあるもの全て、認識するもの全てを、私は言葉にしなければならない。それが生きるということ。

詩人は喫茶のスツールから立ち上がった。

勘定と決心を済ませ、詩人は再び街に戻る。

生のあふれる街で、詩の欠片を探すために。

【デパートメント】

テナント毎に音楽が塗れ

ブース同士光が対立して

壊れた舞台か社会みたいな一角で

どうして人々は買い物なんかするのだ

店員が売っているのは

彼らの時間

彼らの人生

客が買っているのは

欲求解消物質

体裁を取り繕うための衣類

世界はカオス

価値は多様

この世は無常

しごく当たり前の事実なのに

それを目の当たりにした僕は

残酷さにただただ、眩暈を覚える

【愛ということ】

愛は人を癒せない

あるいは

愛はキセキを起こす

愛は力を持つのか

誰かに与えられている愛なら

いつしかそれは枯渇する

そして人間は微妙にバランスを崩して

仕事や食べ物に、或いは他者への依存に

その補填をもとめる

あなたを救う真実の愛とは

あなたの内側にあるもの

あなたの中の、誰かのための愛

あなたがその心の中にあなたの愛を育み

そしていよいよ人々にそれを与えるとき

愛は確固たる力を持ち

あなたを完全に満たし、癒してくれる

〈三月某日〉

詩人はベッドの上で、人間の孤独について思う。微か聞こえる吐息を傍らに、その絶対性について思いを馳せる。

当然ながら私は私以外のものになれない。私以外のものが見るもの、聞くもの、感じるものを、私は共有することはできない。言葉や体温、交わりで人間は他者を感じ、孤独を払拭しようとするけど、決して取り払われることはない。否、その排除しようとしているものは、孤独ではない。恐らく、其れに似た「何か」。恐怖、焦燥、痛み、絶望。自分という器に、様々なものを乗せて、人は自分の価値を確かめようとする。自分に添えられる何かの価値や温もりで、一個の器であるという独立性の事実を、忘れ去ろうとする。しかし、私たちは皆、「一個の何か」でしかあり得ない。

人間も動物である以上、求めるということを知っている。高次脳機能によって、愛し合うということも、恐らく種の全体に何割かは、知りえているのではないかと思う。しかし、互いに視線を交わし抱擁するその時でさえも、私は私の感覚でしか、その温もりを感じることはできないのだ。

孤独とは何か。恐らく、絶対的な人間の属性。自分は一個であり続けるということ。世界はその孤独の主体である自分によって認知され、構成されている。世には、孤独が何がしかの悪いものという固定観念があるのかも知れない。しかし、そうではない。それは自由。幸福な狂気。痛々しくもリアルな生の証拠。

己は常に孤独であるという認識から、世界はその人のものとなるのだ。そしてその世界の中で日々笑い、働き、時に涙し、誰かを求め、幸運であれば愛し、与え合う。人間が孤独でなければ、絶対的独立の存在でなければ、味わうことのない幸せが、恐らくこの世には遍在する。

高原の冷気にのって、朝霧の香りと微かな陽光が、窓から流れ込んでくる。

傍らには、もう一人の孤独の主体者。今日というまっさらな時が始まることを、詩人はふと、幸福に感じた。

【私であるということ】

肘から下の腕が、三つに割れる

断面は明細鮮烈で、しかし血は溢れていない

きれいなマグロの赤身のよう

まず手首を横に切断され、残った部分は縦二つに割れる

私は誰かに対して怒っている

何見てるんだ、くっつく余地はある

帯か何かでしばっておけば、私はばらばらにはならない

ブリキ人形みたいに分割された体の一部を

パズル合わせみたいに組み立てる

そうしてから、自分の意思の力で、細胞の結合と再生を図る

私は一つにならなければならない

私は一つでなければならない

結合部分は結局、歪なまま残った

何をするにも、私の腕と拳はぎこちなくなった

それでも、私は私の一部を失わず、

それまでと同じ固体であることに満足だった

私という実体のどの部分でさえ

誰にも切り離されたりしない

私はそれを許さない

たとえ何かの間違いで、分割され、散逸し、隷属することが楽だとしても

私は私が、一個であることを望む

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